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2008.10/24(Fri)

やっぱり「ありがとう」だ

阿蘇品の写真を探したら、総括研修の写真が出てきた。
よく考えると、事前、中間、総括の各研修の期間でしか、彼と一緒に過ごしていない。
すごく不思議な感じだ。
事前研修と中間研修の写真は見当たらない。撮っていなかったのだろうか・・・?

7期総括

総括研修が終わりみんなが散り散りになってしまう前に、オリセンの玄関前で撮った7期の集合写真。
阿蘇品は僕の隣で満面の笑顔で写っていた。
結局、その後、一度も会うことはなく、電話で2,3度話しをしただけだった。

阿蘇品の闘病生活はミクシィの日記で知るだけだった。
その日記で見る限りは阿蘇品は前向きに病気と向き合っていた。
だけど、もしかしたら、日記の更新のないほとんどの日は、前向きな状態ではなかったのかもしれない。
いや、普通に考えれば、体のつらい日、精神的にひどく落ち込んだ日、想像できないほどのひどく辛い時間がなかったはずはない。
それなのに、僕はそこまでの想像が及ばなかった。
日記を見て安心して、一方的にそこから元気をもらっていた。
阿蘇品が本当に辛いときに何もしてやれなかったこと、それがなんとも申し訳なく思ってしまう。

ただ、救いは、阿蘇品が日記に残した言葉、
『多くの皆さんに支えられてきたこの一年。本当にありがとうございます。私からお返しできることは少ないのですが、せめて私の一年間が、皆さんが「生きる」こと、「感謝」することに目を向けるきっかけになれば幸いに思います。』

この言葉をしっかり胸に刻んで、
阿蘇品のためにも「今を生きる」ことに一生懸命にならなくては。
命をかけて生きなくては。
そして、11月13日、阿蘇品の誕生日。
阿蘇品に「感謝」の気持ちをこめて祝いたいと思う。


7期峰浜村 風間


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00:18  |  Kei  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑
2008.10/24(Fri)

世界中の友からのメールを勝手に掲載します

携帯やPCの中にはしまっておけない…、んだ。



■ これから通夜に伺います。一晩中呑んできます。



■ 僕も今夜はここから西に向かって、酒酌み交わします。



■ ご冥福をお祈りいたします。



■ 阿蘇品くん。
  いつかは、と覚悟していたことですが、まだ受け入れられません。

  夢を持つこと、自分が動いて地域を変えること。
  不安ばかり抱えていた時期に、
  ずいぶん勇気づけてもらったことが忘れられません。
  お返しできんかったなぁ。
  風間さんを始めとする素敵な同期の存在は
  彼にとってほんとに大きかったと思います。
  
  彼に負けぬよう我々も闘わなくては。
  そう、思いました。

  素敵なジェントルマンでしたね。



■ こんなときになんなんだけど…、
  私たちにも来年あかちゃんが誕生することになってね。



■ わーお!
  命のリレーだね。

  こうして命はつながっていくのだと思います。



■ 鶴を折った時からもう3年近くになるね。
  阿蘇品くんにとってはたいへんな日々だっただろうね。
  センターやふるさと協力隊の仲間とずっとつながってたことが
  励みになっていたんだろうなとと思います。

  うちもここからご冥福を祈ります。



■ 千羽鶴に誘ってくれて、ありがとうございました。



■ そうか… 、頑張って逝かれたのですね。
  向こうで、ゆっくりして欲しいですね。
  昨日は、(勤務先の)スタッフに孫が生まれた。
  生と死は隣り合わせですね。



■ 今日メールみた。
  なんか、言葉がでない・・・。

  お通夜とお葬式には間に合わなかったけど、お祈りする。




※一部 Edit & 容赦

市川


00:11  |  Kei  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2008.10/22(Wed)

君が僕を知っている



人の死を受けると、心がざわつく。
故人との思い出を思い起こし、必死で懸命に生きてきた姿を想うと「僕もそうあろう」と、ふと決心している。




源彰さんとの縁は、うちの奥さんが9期の奥津派遣だったことから始まる。
両親よりも前に結婚を報告したのが廣野さん夫婦だった。今となっては二人とも故人となってしまったお2人は勢いと慈悲に満ちていた。いつも大手を広げて迎えてくださった廣野家が、その日は葬儀場となってたくさんの方々に見守られていた。僕は子どもを抱きながら、裏にあった源彰さん手製の園芸倉庫や洗浄機の保管箱に、器用に細工してあるのを見てまだまだやりたいことはあったろうにと涙を呑んだ。
人生は本当に短い。最後に教えられた気分だった。



それから10日後、阿蘇品の死を知った。
僕は元気なころの阿蘇品しか知らない。ここ数年病気と闘っていたことは知っていたが、正直どこか遠い存在になりつつあった。



通夜に向かう車中、阿蘇品の生前を思い浮かべた。彼は同期で一番酒が強かった。そこそこ物知りで酒の席では圧倒的だった。どこか斜に構える所作が細かくあり、時にひげを生やし、時にサングラスをかけ、どこかいけ好かないところもあった男だった。それでもOB会を立ち上げたころは何かと気に掛けてくれて会にも幾度と参加してくれた。とても協力的だった。

阿蘇品が友人の結婚式で東京に来た時、立青と3人で呑んだ。その時の風貌はほとんどヤクザで、上野の繁華街で道々が空いたのには笑いを堪えられずにはいられなかった。俺の携帯でガンガン同期の連中と話し始め、3人とも同期のつながりを肴に夜遅くまで呑んだ。

こんなこともあった。
俺の友人が門司で自殺をした。その友人の両親が「生前悩んだときに良く行く場所があると言っていた。そこから見る夕陽がとても綺麗だったと」俺はその場所を探したかった。何かの折にそれを阿蘇品にしゃべったんだろう。彼は「探すときは言ってくれ。俺が車を出してやる」と即答だった。知りもしない奴のことまで心配してくれた。




通夜も告別式も無機質にたんたんと進んだ。あれは今思うとご遺族ご親戚の方々の心痛さを表に出すまいとした故の空気だった。ご両親とご挨拶した時も、お互い何かを呑みこんでの会話だった。「どうぞ見てやってください・・・別人のようですけど」お母さんが気遣って阿蘇品の変化を言葉少なに伝えられながら顔を見ると、俺の知る阿蘇品はいなかった。
「この子(妹さん)の結婚式の時に作ったスーツを着させたんです。」
僕にはまだ現実感がなくて、第一そこに寝てるのは阿蘇品じゃないし、誰か別人で、空虚なまま同世代くらいの若いお坊さんがどんどんと葬儀を進めていく。

そんな式場を見渡していると暖かな柔らかさで千羽鶴のたばが2つ重ねて置かれていた。色とりどりの千羽鶴にたくさんの顔が浮かんできた。「これが手仕事だな」と妙なことをふと、でもしっかりとした手ごたえを持って心に浮かんだ。
僕らはとても無機質な情報の中で生活をしている。
でも私たちはもっとアナログで人の想いや熱を感じ取れるような距離感で物のやり取りをしていきたいと思って、この「緑のふるさと協力隊」に参加したんじゃないかと思う。時代遅れで恰好悪くっても、何か胸の奥の方からの衝動に駆られて行動した仲間じゃなかったか。阿蘇品と千羽鶴が僕にそんなことを訴えてきた。

「皆様ご存じのとおり、慶は3年半の間、家族と一緒に病気と闘ってまいりました。慶は本当に頑張りました。
ただ・・・順番が違うんじゃないと・・・慶はその分、人よりも2倍3倍、喜びやたくさんの思い出を得て、生涯を終えたんだと思います。」



たまたま山口で暮らしていたため、同期、OBを代表して通夜告別式に参加させていただいた。私にはみんなに報告する義務がある。しかしどうしても報告するだけの実感や記憶や想いが欠如していて、何をどう伝えていいものかわからない。しかしこの二日間久しぶりに同期たちと電話で話をし、参列できない友人たちの想いが私に伝わった。それゆえ最後にこのことを書いて報告を終わる。


阿蘇品は晩年、アクセサリーを作っていたそうだ。
それをご家族は本当に大切にされていて、形見のようでもあった。
彼は闘病中、病とだけ闘ってきたわけじゃなく、きちんと「手仕事」をして頑張っていた。
生きる希望はきっと何かを作り出す「創造力」がこんこんと湧く所にだけに宿るんじゃないだろうか。
それは苦しいほどアナログで時間と手間がかかる。
こんな時代に流行らないだろうけど、僕らは彼のそんな生きた姿を投影し、手仕事をしていく。

7期



7期日之影 須田
16:58  |  Kei  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑
2008.10/21(Tue)

同じ時を生きたんだ

さよなら慶 ありがとう慶

緑のふるさと協力隊OB・OGの皆さん
この活動を支えて下さっている皆さん
また、この活動に関心を持たれて当ブログをご覧になっている皆さん

悲報です。

阿蘇品 慶くんが10月19日にお亡くなりになりました。

kei-junkashiken

慶くんは、
第7期(2000.4-2001.3)に参加。
活動先は石川県白峰村。
高山植物の馴化試験や青年団活動等、
白峰村協力隊のパイオニアは多いに活躍されました。

3年もの間、
彼は病気と闘いました。
検査、治療、手術、入退院を繰り返す日々。
完治をめざして、彼がどんなにがんばったか、想像は何をもっても及びません…。

慶くんは1976年生まれ。
享年31歳(あまりにあまりに早すぎる)でした。


歌ではないけど、
闘いから解き放たれた Soul は「風」となって、
ビュンビュン音を立て世界を駆けめぐっている気がする。
汗をかいたら涼となって、
火を起こすときには焚き付けのために、
その風はやってきてくれそうな気がする。


慶、これだけは言えるよ。
ぼくらのココ(胸を叩いている)には、
ココには慶がいる。

慶は生き続けているんだ。

だから、さよならじゃないね。
「ありがとう 慶!」


※ 市川(GEC緑のふるさと協力隊 7期担当)が記しました。
 

最後に慶の mixi 日記(07/11/13)より…

「同じ時を生き、出会ってくれた皆さんに心から感謝を!!」


21:12  |  Kei  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑
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