10月≪ 2017年11月 ≫12月

123456789101112131415161718192021222324252627282930
--.--/--(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑
2011.03/20(Sun)

ふるふるの輪 vol.14☆8期諸塚村派遣の渡部憲一さん

みなさんこんにちは。15期諸塚村派遣の田邊さんから輪を広げてもらいました、8期諸塚村の渡部です。
協力隊を卒業して早9年が経とうかとしています。そんなある日、一通の見知らぬメールが、田邊君から「ふるふるの輪」のバトンを僕にと言うメールです。メールをもらった当初は年度末で仕事にも私事にも、本当に猫の手も借りたいくらい忙しく断るつもりでしたが、やはりこれもひとつの縁だし、協力隊時代を振り返るのにもちょうど良いかと引き受けました。
現在は地元愛媛に戻り、役所に勤めていますが、肩の凝らない作業着を着て下水道の業務に励んでおります。しかし、時は年末!あれやこれや年度内に片付けないといけないことばかりで、休みもなくてんやわんやです。
さらに、最近に家を建ててしまい、少しでも節約のために、出来る事務手続きは自分でしているために時間がかかること。トラブルも続発。
さらにさらに、近々、嫁が出産の予定で家事・育児の負担がのしかかり、こころの休まる時間がありません。
そんなことを言っていたら、9年の月日は、色々な環境、状況、立場が変わったのを実感します。その当時には想像がつかなかった生活を送っています。人が生きるって、こう言うことなのかなと考えさせられます。はっきりは言えないけど、協力隊の1年間は今の生活に何らかの影響を与えてます。
協力隊に入るきっかけは、当時仕事が嫌になり転職を考えたり、「ちょっと変わった人生」を送りたいな、と思っているときに、地球緑化センターのホームページを見てしまい、心が弾んでしまい、応募しました。
諸塚の説明は田邊君の記述のとおりです。自然と人の生活とが一体化している、体に馴染むところです。
そう言えば、3年ほど諸塚にも行ってないなー。行きたい気持ちはあるけど、子供が小さい間に行くのは忍びない。噂では村も様変わりしたようで・・
maturri




さて、今回は渡辺さんでした、文面からお忙しい日々の様子が伝わってきますね。

今回は震災の影響もあり、ふるふるの輪が遅れてしまいましたことをお詫びいたします。
次回の投稿者の方は、分かり次第ここにアップします。
次に輪に加わるのは、あなたかもしれませんっ。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

スポンサーサイト
15:13  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2011.03/04(Fri)

ふるふるの輪 vol.13☆宮崎県諸塚村 13期・田辺薫さん

こんにちは。
13期諸塚村隊員の田邉薫(たなべかおる)です。

梅の花が満開となった、ここ諸塚村。
カジカガエルの鳴き声も1年ぶりに聞きました。
そろそろ春の足音が聞こえてきたようです。
あなたの地元はいかがでしょう?

わたくし、現在は派遣先の諸塚村で運良く仕事をいただいて
村の観光協会事務局に勤務して2年目になります。
地域社会に残る素晴らしい山村生活文化を、未来へつないでゆこうという夢を描きつつも、普段はバタバタと仕事に負われているような状況です。
(締め切り守らずにごめんなさい)

諸塚村内を代表する景色、モザイク林層

さて、東京のど真ん中で育ったわたしが、
「そうだ、田舎へ行こう」と思い立ったのが大学3年の秋。
同級生達がリクルートスーツに身を固めているのを横目に協力隊の説明会を訪ねました。
その時に緑化センターのK井さんと小一時間くらい話し込んだのをいまでも覚えています。

協力隊卒業後は、残り1年間の大学生活で足繁く諸塚に通い。
その後、静岡の自然学校で1年間の修行を経て、2009年の春から諸塚に舞い戻ってきました。

諸塚村は、村の面積の95%が森林という山の中の村。平地は1%もありません。
宮崎というと、南国のイメージが強いかもしれませんが雪も降ります。
人口1,700人、いわゆる目立った観光資源はほとんどありません。
ですが、村まるごとが観光資源。村人の暮らし・生き様が特産品です。
仕事では、地域に根ざしたエコツーリズムの仕組みを整えようと日々奮闘してます。
詳しい様子は、ツイッターでも情報発信をしていますので。
よければそちらもご覧ください。
@MorotsuKanko(職場アカウント)
@moro_tnb(個人アカウント)

ここ数年、諸塚に来た協力隊員の定着率は急上昇中です。
5代目隊員の私は、観光協会に就職。
6代目の14期隊員は村の財団法人に勤めて山師を頑張っています。
7代目隊員は、ふるふるの副会長も務めているらしいのですが、大学院での研究を、諸塚を調査地として行うそうです。
8代目(16期)さんは、村内で良縁が見つかり、ご結婚。去年の夏に挙げた手作りの結婚式は感動モノでした。お仕事は、以前からの船乗りに戻っています。
そして、諸塚定住の先駆者ともいえる3代目(10期)隊員。森林組合に勤務し、現在は仕事の関係もあって諸塚を離れていますが神楽奉納などの時は貴重な舞い手として大活躍しています。
気がつけば歴代隊員の半分以上が諸塚に残っている(もしくは関わる)という状況です。
その秘密は…、わたしにもよくわかりませんが。
それぞれ自分の居場所を村の中で上手く見つけられているなあ、と思います。

ふるふると担当者の、とある日の呑み方の様子

さてつづいての、ふるふるの輪は諸塚の初代協力隊員8期の渡部さんにつなぎます。
協力隊卒業後、地元愛媛に戻って市役所にお勤めです。よろしくお願いします。

追伸
宮崎県内では、去年から口蹄疫・鳥インフルエンザ・新燃岳の噴火と全国ニュースのトップになるような事件が相次ぎました。全国各地の方々から、暖かいご支援や励ましをいただきました。この場を借りて、一県民としてお礼申し上げます。
がんばろう!宮崎県!!




次回ふるふるの輪は、3月17日(木)
諸塚村初代派遣の8期・渡部 憲一さんです。
よろしくおねがいします~♪
09:07  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2011.02/17(Thu)

ふるふるの輪 vol.12☆岩手県遠野市 13期・佐藤亜紀さん

こんにちは。古山朋子さんからバトンを受けました、13期岩手県遠野市派遣の佐藤亜紀です。

派遣地には残らず東京に戻り組。
誰もが知る巨大企業の一角で日々格闘しています。
仕事場は多くの観光客が訪れるところで、遠野からいらしたというお客さまから「あれ?協力隊でいた方ですよねー」と声をかけていただいたこともあり、世間て狭いなぁ。

実は今日は原稿の締切日。東京も雪景色です。何も考えてなくて、『ふるふる』を初めて(ごめんなさい)覗いてみたら、
朋ちゃんから「祭」のキーワードを頂いたので、それについて書こうかな、と。

「祭好き」と言ってもお祭り騒ぎが好きなわけではなく、ある郷土芸能に強烈に惹かれ、それが協力隊に参加したきっかけになった、というお話です。


○衝撃の出会いは中学の修学旅行
北東北~奥入瀬やら八幡平やら中尊寺を回る渋いコースの修学旅行で、宿泊した花巻のホテルにその出会いが待っていました。
夕食時に披露された「鹿踊(ししおどり)」に心をぶち抜かれました。

○感動の再会は10年後
仕事で「和」をテーマにしたショーを構成中、「祭」の要素が議論に。
私にとっての祭とは、を考えながら並行して選曲のため、たまたまVTRを流した某大河ドラマのタイトルバックに、草原を跳ね踊る鹿の姿が…
どうしてもナマで見たくなり、北上出身の友人に相談。
残念なことに、その年は休みが合わず結局見られずじまい。
よけい見たい。
翌年ようやく再会を果たしました。記憶を塗りかえて余りある迫力!
その後も毎年、鹿踊が出演すると聞けば夜行バス日帰り強行ツアーでも、あちこち出掛けて行くようになりました。

○この芸術的センスはいったいどこから
復活したばかりという踊組がエライ完成度だったり、
猛暑の本番を倒れながらも乗り切ったり。
ふと、この鹿たちはいったい何者?という興味がフツフツと。
観光客として用意された場所で見ることに満足できなくなってきたのかもしれません。
はて、どうしたら鹿の正体を知ることができるだろう。
人生すべてタイミング。協力隊の文字を新聞で発見したのもそんな時でした。

○郷土芸能とはなんぞや
ということを、遠野では学びました。
神楽保存会でお世話になり、本番の舞台も何度か踏ませていただきました。
普通の農家のおじさまが、自分も昔やってたんだという話をしながら舞う振りをした時の足さばきの美しいこと!
ナントカ文化財に指定されているという某団体のお子さまたちが、いかにも祭で掻き集められてきたらしく、うつろな表情で目が泳いでいること!
コレが郷土芸能だと。
決して見世物ではなく、その土地に流れる無言のリズムそのものを表現すると郷土芸能になるんですね。
無言のリズムを知るには、その土地で同じく生活するのが最善のようです。
遠野の空気はとてもクリアーで、美しく絵に描いたようにそのリズムが流れていました。
東京にもそのリズムはあります。少し複雑で感じ取りにくいかもしれませんが。

そんな東京が、今の私のふるさとです。

郷土芸能


さて、次も13期。今も諸塚村で頑張る田辺くんです。若いのにしっかり者で、面接のときからのご縁ですね。よろしく!!



次回ふるふるの輪は、3月3日(木)
諸塚村派遣の13期・田辺薫さんです。
ふるふる事務局の本多がたいへんお世話になっております。
よろしくおねがいおします~♪
10:30  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2011.02/02(Wed)

ふるふるの輪 vol.11☆大分県豊後大野市(旧、大野町) 古山朋子さん

同期の鈴木由美子さんからご紹介を受けました、同じく13期で由美子さんのお隣、大分県豊後大野市(旧、大野町)に派遣されていました古山朋子です。
派遣されていたのは4年前になりますが、その後3年とちょっと大野町に住み、隣町で農業をしていました。そして昨年5月、大野町生活5年目に突入したころ、実家のある千葉県に戻ってきました。
現在は実家から通える場所で栄養士として働いています。

はたけ

大学卒業と同時に協力隊に参加して早数年。大野町民だった間は本当にいろんな経験をしました。
基本的にはほとんど楽しいことでした。ただ、今、振り返ってみると、協力隊の期間中は自分で縛りを作ってしまっていた部分もあったので、純粋にやりたいことをやって楽しめたのは、協力隊が終わってから大野町に残っていた期間かなぁ、と思います。

人によって「協力隊」の立場のとらえかたは様々だと思います。私は協力隊をやっていた1年間ずっと、日中どこかで何かのお手伝いをしているとき以外も、周りから常に協力隊として見られているという意識がありました。
それは当たり前といえば当たり前なのですが、いつ、どこで、何をしているのかを常に見られている、良く言えば見守ってくれているのだと思いますが、私はどちらかというと、監視されているような感覚でした。右も左もわからない、知り合いも誰もいない町で、最初はそれもありがたかったのですが、私は次第にそれが苦痛になりました。
そして、その間はどうしても余所者という感覚が抜けませんでした。

それでも大野町に残ろうと思ったのは、余所者としてではなく、一人の町民として大野町を見てみたいと思ったからでした。
ただの大野町民になってみると大野町は住みやすく、仕事もプライベートも自分のやりたいことをやってとても楽しく過ごせました。市外に買い物に行ったり、友達と飲みに行ったり、習い事をしたり。その中で、友人もたくさんできました。

楽しいながらも大野町を離れたのは、農業の厳しい現実のせいかもしれません。
誰もがもっともっと農業がしやすい環境になってくれることを、富に願います。

ふうけい

次は同じく13期で岩手県遠野市に派遣されていた、お祭り大好きのおねえさま、佐藤亜紀さんです。よろしくお願いします♪



次回ふるふるの輪は、2月17日(木)
13期の方ですと、協力隊参加から4年ほど経つということで、みなさんさまざまな展開がありますね。
次回も13期。岩手県遠野市に派遣されていた、佐藤亜紀さんです。
よろしくお願いしまーす。
13:07  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2011.01/20(Thu)

ふるふるの輪 vol.10☆福岡県築上町 鈴木由美子さん

協力隊OB・OGの皆様

あけましておめでとうございます。
5期の中川さんからご紹介いただきました、
13期協力隊(派遣先:福岡県築上町)の鈴木と申します。

突然ですが、皆さんは年の初めに一年の抱負を掲げたり
しますか?
私は毎年、お正月に何となく考えてはみるのですが、いつも
ばく然とした内容なので、今年くらいは具体的な目標を・・・
と思いつつ、はや半月が過ぎ・・・。

抱負といえるか分かりませんが、私には
「やるかやらないか迷ったら、とりあえずやってみる!」
という思想があります。(もちろん他人に迷惑をかけないと
いうのが前提です^^;)
たとえ結果が伴わなくても、性分的に、そのほうが後で納得
できる気がするからなのですが。
第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディさんも
「Only those who dare to fail greatly can ever achieve
greatly (大失敗する勇気ある者のみ大成功を収めることが
できる)」
と、語っていたそうです。
今思えば、仕事を辞め1年間の協力隊生活に踏み切ったのも、
この「とりあえずやってみよう」がきっかけだった気がします。
皆さんは「やってみる派」ですか??

今年も、日々生かされていることに感謝しつつ、
「とりあえず挑戦してみる」姿勢で、ハッピーに過ごしていけ
たらなぁと思ってます。

さて、次にバトンを引き継いでくれるのは、昨年春まで
大分県豊後大野市に定住していた、ヒマワリみたいな笑顔が
ステキな13期のT.F.さんです♪
Tちゃんヨロシクぅ!

こないだ沖縄で出会った木。根っこが力強い!こんな木みたいになりたいなぁ。


次回ふるふるの輪は、2月3日(木)
同じ13期の大分県豊後大野市に派遣されていた古山朋子さんです。
よろしくお願いしまーす。
14:13  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2011.01/06(Thu)

ふるふるの輪 vol.9☆岡山県奥津町(現・鏡野町) 中川留美さん


新年あけましておめでと卯ございまぴょん
岡山県の奥津(現・鏡野町)5期の中川です
奥津に来て今年で干支がひと回りしました
2度目のウサギ年です
今年こそウサギを食べてみたい☆刺身が美味とか♪
本年もどうぞよろしくお願いします

1奥津野ウサギ

元旦の夜。毎日入っている奥津温泉で、
裸なのは当たり前なのに、改まって
「あらこんなカッコウで失礼しますね」
と前置きしながら正座しておめでとうを言い合う
何度見ても面白くて大好きな光景です

さてさて、
ちょっとちょっと、
回覧板じゃないんだからっ
なにご近所回りでくるくるまわしてんの~
次はどーんと飛ばしますよー

そう、これまで登場の奥津組はご近所さん
スープも沸騰したままの距離
私はそこから山をひとつ越えた田んぼの中で暮らしています
近くの耕心村という施設のhp 
日記つづってます

3私の家の周り

奥津は現隊員もあわせて11期17人が活動
(2)岩泉、稲葉 (3)安田、乾 (5)星、中川 (7)延原
(8)鈴木 (9)久野、清水 (10)小笹 (11)小澤
(15)松浦、浅野 (16)土川、佐藤 (17)大塔 
半分がそのままだったり戻ってきたりで、今、居ます

バトンを渡してくれた小笹夫婦は、京都と福岡が地元なのに、
子どもちゃん達のじぃじとばぁばは周りにたくさん
地域の子ども達の成長を大勢が見守ってていいなぁと思います

そんな奥津協力隊のプチ歴史は、
もう手にしましたか?昨春発行
「緑のふるさと協力隊 農山村再生 若者白書2010」
p95「むらに残った若者たち 定住OBが受入を復活させた」
の章をご覧ください。3期三浦さんが取材してまとめてくれました

私は町のケーブルテレビ局で働いています
協力隊の活動で携わったのがきっかけです
町の話題をカメラで取材して編集し出演もします
最近だと、大相撲作州鏡野場所、秋の紅葉、干支の置物作り、
スキー場開き、テレビ年賀状。。。。ローカルな話題何でもアリ
失われてきているとはいえ、季節風土を大切にした行事は多いです
本当に好きなのは行き当たりばったりでカメラを回す、
ダーツの旅のような、ど素顔が見える取材です

2仕事

協力隊も取材してきました
わけもわからずぽやんとした顔の初日
新品で着られている作業服姿が、
最後にはだいたい5キロ増しの地元民に変わっています

素人だから
何年かはそんなあまえがあったのですが、
ある時、いやこれで食ってるならプロやん
と認識をかえました

制作した番組がコンクールで入賞するようになりました
そんな中の1つは今も動画がアップされてます
つなぐ 長巻寿司 225mの挑戦
地味でダサくていい、ありのままの魅力を丁寧に伝えよう
そんな思いで地道に取り組んだ作品です
私が大好きだった長い巻寿司を作るイベントを追いました

スポットを当てたお一人、廣野源彰さんは協力隊が父と慕っていた方
放送後、すぐに廣野さんから電話がありました
「良かったぞ」という声は今でも忘れられません
難病と闘っていた廣野さんにとって、電話さえ大変な中でした

出会いと別れを繰り返し、干支もくるり
今でもあまえさせてもらっていること多々だけど
おや最近旅に行きたがりです
それまではちっとも思わなくて、奥津に暮らしていることが旅でした
ここではないどこかに行きたくなってるってことは、
少し根が生えたのかなぁ

さて、輪☆
13期の鈴木由美子さんにつなぎます
去年11月のライフスタイルフォーム打ち上げで数時間お話したのみ
なご縁です。良い声で滑らかなトークが面白くて
奥津のいない13期秘話が聞けるかも?楽しみにしてまーす♪
輪、またいつかぐるり奥津組にきてね

次回ふるふるの輪は、1月20日(木)
奥津組からかわって、ゆみ吉ねえさんこと13期・鈴木由美子さんです。
いま現在、まだ一文字も書けていないとのこと・・・・・・、
ねえさんガンバっす!
ではまた~♪

23:19  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2010.12/16(Thu)

ふるふるの輪vol.8☆岡山県奥津町(現・鏡野町)10期小笹崇之さん&3期(旧姓・乾)真紀子さん

ふるふるの皆さん、こんにちは。
のぶちゃんからバトンを受けました、元協力隊カップル(…というのも気恥ずかしい…)
岡山県奥津町(現・鏡野町)派遣の10期小笹崇之&3期(旧姓・乾)真紀子です。

私(ヨメの方)が協力隊に参加してから、早いものでもうすぐ15年になろうとしています。
今は奥津の住民となり、娘二人の子育てに追われながら、ゆったりと(?)田舎生活しています。
私が協力隊に参加した頃は、まだ事業が始まって間もないころで、
今のようなしっかりとしたプログラムがあったわけではなかったですね。
知名度も低かったですし。
だからこそ、ある意味“変わり者”っぽい人達が多かったんじゃないかと思います。

私の場合は協力隊が2回あったような感じです。
というのも、協力隊から6年後に奥津に戻ってきたから。
奥津の協力隊の親代わりで
最高の理解者でもあったH夫妻の家にしばらく居候させてもらい、
生活を共にすることで田舎の暮らしやつきあいなど叩き込まれ、
身をもって学んだことが大きかったと感じています。
H夫妻の家に集まってくる協力隊や残ったOBのような“よそ者”や、
地元のおっちゃん、おばちゃん、若モノと飲みながら地域おこし的な話をしたりと、
みんな何かおもしろいことしよう!と元気でした。
その後、相次いでH夫妻が亡くなり、ある意味ホームグラウンドがなくなった私達は、
それぞれの仕事や生活に追われ、以前のような活動はなくなりましたが…。
でも、その時H夫妻を通じ、地元の特に年配の世代の方々と仲良くなり、
かわいがってもらえたのは、今も宝です。
10期の協力隊OBと結婚し、今3歳と0歳の娘がいますが、
この近所周りのばあばやじいじに可愛がってもらい、スクスク育っています。

小笹さんー1 近所をお散歩

主人は森林組合のフォレスター(山仕事の現場作業員のことです)、
私は現在は専業主婦ですが、この間まで地元三セクの職員、
と仕事も生活圏も奥津にどっぷり浸かった毎日の中で最近思うのは、
「ネイティブ」になってきているなぁ、ということ。
協力隊の時や奥津に戻ってきたばかりの頃の新鮮さはなくなり、
代わりに地元の人の目線に近くなってきているような…。
田舎生活のいい所、例えば山に囲まれた自然豊かな生活環境、季節を感じる恵み、
それからなんといっても地元の人達とのつながりをとても有難いなぁ、と感じる一方、
実際に生活者となると、不便なところもたくさんあります。
中でも、近所に子供の遊び友達が少ない
(親が車で連れて行かないとお友達に会えないくらい離れているので)、
病院が遠い、学校は少人数学級だし、いつ統廃合するかわからない、
といった子育てに関することは特に気になります。
それでも、奥津での生活のいい所も悪いところもひっくるめて、愛着を感じています。
ここに住むことを選んだ私達夫婦ですが、
子供にも奥津というふるさとを誇りにして欲しいと思います。

小笹さんー2 お散歩中、岡曽山をパチリ

旦那から一言。
晴耕雨読…晴れの日は山仕事、雨の日は子供らと遊んだり、本を読んだり、の日々。
森林組合での仕事も丸4年が過ぎました。
協力隊として奥津に来るまでは、林業という仕事につくとは考えてもいませんでした。
最初はたいへんでしたが、手の平と足の裏にできたマメを見ると、
よく頑張ってこれたのだと思います。
3歳の長女は丸太のイスに座って遊んでいます。お気に入りのようです。

次回ふるふるの輪は、来年1月6日(木)
同じ奥津町派遣の5期・中川留美さんです。
奥津ばかり続いてすみません…。
中川さん、次は奥津から脱出してね、よろしく~♪
06:00  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2010.12/02(Thu)

ふるふるの輪vol.7 ☆ 7期 岡山県奥津町(現 鏡野町) 延原有紀さん

ふるふるブログをご覧のみなさん、はじめまして。・・・もしくは、お久しぶりです。
星江美隊員の紹介で登場しました、7期奥津町派遣の延原有紀と申します。
最近の楽しみは、手作り、自然の営みを見つけること、心を落ち着けることです。
甘酒、天然酵母、味噌、みりんなどの発酵食品づくりで
目にみえない微生物が働いているのを感じるのが楽しくてたまりません。
また、これから是非やってみたいのは静かな山での野宿です。

さて、前置きはこのくらいにして、本題に入ります。
私が協力隊として奥津町で1年間活動したのは平成12年度でした。
奥津には求めていたものが、たぶん・・すべてあり、
その居心地のよさにすっぽりはまってしましました。
私は人との交流があまり得意でなく、孤独癖があると自分では思っているのですが、
そんな思い込から解放された1年間でした。
 
協力隊の活動中に、幸運にも(奇跡的に)岡山県の職員に林業職という職種で合格し、
協力隊終了後も、奥津在住のまま現在まで県職員を続けています。
これまで、林業普及員として森林体験活動や、森林セラピー基地の立上げのお手伝いなどしたり、
県庁では県営林の経営管理の仕事をしたりして、今年の4月からは林道工事を担当しています。
県の職員は、だいたい2~3年ごとに転勤があり、
私もこれまで3回勤務場所が変わりましたが、ずっと奥津から通っています。
さすがに3年間の県庁通勤(片道2時間)はこたえました。
しかし長距離通勤をしてでも奥津を離れることは私には考えられず、
職場の人からは何故引っ越さないのか度々聞かれましたがやはり、離れる気にならないのです。
近くに自然を感じられること、”農林業”の現場が身近であること、
昔から受け次がれてきた郷土の行事や暮らしの知恵に触れられること、
そしてこころから信頼できる人たちが身近にいること・・・などなど
奥津を離れたくない理由はいくらでも考えつきます。
でも何より言葉では説明しきれない大きな安心感があるのです。
一人では生きていけないのに一人でいることの好きな私でも
安心して住むことができるかけがえのない場所なのです。
数年前に読んだ、内山節氏の著書「里の在所」の中で
氏が上野村のことを”魂の帰る場所”と表現しておられました。
私にとっては奥津が”魂の帰る場所”なのだと勝手に得心している次第です。

延原有紀さん お手本にしている心のブナ

星さんの文章にもありましたが、
奥津の協力隊を心から歓迎し世話を焼いてくれたH夫妻には私も感謝してもしきれない恩があり、
結局、直接は何も恩返しができなかったと、つらくて悲しくて今でもときどき涙が出てきます。
でもたぶん恩人に直接恩返しできることなんてすごくまれで、
恩返しは自分のできる別の形でしていくものなのでしょう。
そのほうが、恩返しが完結せず、ずっとつながっていくわけで、
そういう縁を私も作っていきたいと思うのです。
 
次にバトンタッチするのは奥津在住の元協力隊同士カップル、
こちらも御近所、頼れる存在、小笹夫妻です。

こじゃりん、まきちゃん よろしくお願いします。
06:00  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2010.11/18(Thu)

ふるふるの輪vol.6 ☆ 5期 岡山県奥津町(現 鏡野町) 6期 岩手県岩泉町 星江美さん

あっくん、バトンをありがとう!
数年ぶりの電話、「ふるふるの輪」をきっかけに、
こうやってまた連絡を取り合えるということを嬉しいですね♪

さて、今日は雑然と「最近ふるさとについて思うこと」を書いてみます。

生まれ育った東京を離れての12年半は協力隊→木工→漆(塗師)→木工→版画…
と仕事を変え、住まいも東京→岡山→岩手→岐阜→岡山…と
転々としてまいりました。
「いろいろ暮らしてみてどこが良かった?」とか
「やっぱり奥津が良くて戻ってきたんか?」と度々訊かれますが、
答えは「どこも良くて、それぞれ好き」です(八方美人?)
流れに逆らわずにきたら、また奥津に居たという感じです。
敢えて云うならば、私を受け入れてくれる環境があったので
安心して戻ってくることができました。

星江美さん-2
私の暮らす集落の最高峰、岡曽山(963m)から見下ろした我が家とその周辺

7年前、再び戻った奥津にはたくさんのふるふる&現役協力隊がいました。
当時私たちの面倒を見てくれたのはHさんご夫婦でした。
毎週のように…いや、毎晩のように夕飯に呼んでくれて…の酒宴。
協力隊員にはわが子のように接してくれます。
なので厳しく叱られることも、用事を頼まれることも多々ありました。
呑みながら浮かぶあんなビジョンやこんなビジョンを実行に移したり、
自然と現旧協力隊同士も打ち解けます。

ご夫婦が相次いでこの世を去って3年。
集まることも少なくなり、それぞれの生活と向き合うに精一杯だった数年を経て、
最近流れの変化を感じています。
きちんと繋いでいかなくてはならない時期に来ているのでしょうか。
そろそろ何か…例えば安心して帰ってこられる環境を築いていくとか。…とか。

ここのところ、また新しい出会いが続いています。
あの頃みたいにあんなビジョンやこんなビジョンを
一緒に語れる楽しさを思い出しています。

緑のふるさと協力隊は私の今の暮らしの原点です。
最近は「木版画」がGECやふるふるの皆さんと私を結んでくれます。
ここ3年ほど協力隊の終了証&ホルダーを木版画で制作させてもらっています。
東京で個展をした時には「○期の協力隊で…」「岩泉でお会いした…」と
嬉しい出会い!再会!

星江美さん-1 緑のふるさと協力隊の終了証とホルダー

ふるふるネットワークは私が思っていた以上に
日本全国に張り巡らされていたようで、
このブログを読んでいても感心しきりです。
私も一緒に何かできたらいいなぁと思います。
得意分野は版画と木工です。何かありましたらお声がけくださいませ。

近況はこちら→ 木版画の雨玉舎 http://www.mto.ne.jp/ugyoku-sha/

奥津には現在も8人の現旧協力隊員が暮らしています。
バラエティー豊かなメンバーの中から…
次回はご近所ノブちゃんにバトンタッチ☆よろしくお願いします。
7期 岡山県奥津町(現 鏡野町)派遣の延原有紀さんです。
今、奥津ふるふるで流行りの玄米甘酒づくりの火付け役!
(本当に簡単でおいい♪)
06:00  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2010.11/04(Thu)

ふるふるの輪vol.5☆5期 山梨県芦安村 中村彰宏さん

緑のふるさと協力隊第5期の中村彰宏です。
前回のふるふるの輪の飯田みゆきさんと一緒に、
山梨県芦安村(現南アルプス市)の「南アルプスチロル学園」に派遣されました。
当時は19歳だったので、もう13年前の事です。

ふるさと協力隊に参加するまでは、プログラマーとして
パソコンばかり相手にしていましたが、協力隊として山梨の山奥で
子どもと共に生活をする日々は、その後の人生を大きく変えました。

チロル学園では協力隊の任期の1年が終わった後も、
同じ施設で雇われてもう1年過ごし、故郷の千葉県に戻ってからも、
環境保護活動を中心とした人生を歩んでいます。
職業はホントに転々としました。
緑化センターの事務局も少しやりました。
環境アセスメント会社では環境調査と自然調査データ作成のバイト。
オーガニック野菜ショップで店員と事務局。
県立博物館で里山研究の助手バイト。
庭師のバイトで造園業。
千葉市少年自然の家では田んぼと畑担当で子どもたちに自然体験指導。

5期中村さん画像2
自然の家の田んぼで子どもたちに田植え指導している所

いろんな職に就きながらも、拠点である千葉では
「ちば環境情報センター」という自然保護団体に所属して
約10年間活動に参加し、里山保全や自然体験の活動をしています。
その団体で知り合った女性と結婚し、
今では2歳の娘と共に千葉県東金市で過ごしています。

そして今なにをしてるかというと、「大里綜合管理株式会社」という
不動産会社で働いて1年半になります。
この会社は140を超える地域貢献活動をしているとっても変った会社です。
九十九里地域を活動範囲として、町や海のゴミ拾い、子育て支援、
50km・100kmウォーク、コンサート、カルチャー教室、コミュニティレストラン、
各種セミナー、まちづくり支援など、地域貢献活動三昧の日々です。

5期中村さん画像1
社内のフロアで開催している歌声喫茶のイベント

その会社で、僕は地域貢献活動の事務局担当と、過去の経験を活かして
ホームページやチラシデザイン、パソコン管理などをしています。
とにかくたくさんの人と出会い、たくさんの活動をして、
たくさんの人のお役に立てるようにする。それが今やっている事です。

19歳の頃、プログラマーという仕事から、ふるさと協力隊に行こうと考える間には、
「自分は何のために生きてるんだろう」「いつか死んだ後は何も残らないだろう」という考えがあり、
そこから「死んだ後も残るような何かをしよう!」と、
自然保護活動を選んで協力隊に参加しました。

とにかく、人の役に立つ・人に喜ばれる事をするのは楽しい!
他人から利益を取って生きるより、
他人にも自分にも自然にもプラスになる生き方を、
今も続けられているというのが何より有り難い事です。

僕は将来、自然保護活動を生業として収入を得られるような仕組みを作り、
その流れを後世に残す事が人生の目標です。
いろんな活動、いろんな職業を経てきたからこそ学び培ってきた知識と経験を
自然保護活動の1つの形として創り上げたいと思っています。

こんな人生の目標と、それにチャレンジするきっかけを下さった
ふるさと協力隊には本当に感謝しています。
地球緑化センターの活動からは離れてすみません(汗)。。。
でも地球緑化センターで生まれた種は、着実に、これからも育っていきます!

次回は、同じ5期のホシエミこと星江美さん(そのまま)です。
数年ぶりに電話してバトンタッチの話をした時は、なんと東京で個展を開いている最中との事。
いきなりのお願いに快諾して下さいました。よろしくお願いします~
06:00  |  ふるふるの輪  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。